何もない空間で、意思をもって何もしない

おれが求めていたものが今まさしく得られている。

 

それは、「好きなだけ、ひとりで静かに自分と対話する空間」である。

 

ここでいう空間とは場所だけを示すものではない。

 

自分の実感や、時間の過ぎ方、など多次元的なものだ。

 

この静けさこそが、俺が求めていたものだ。

 

何もしないためには、意思に基づいた決断力が必要だ。

今の時代は安易に、「やらなきゃいけないこと」にアクセスできてしまう。

やらなきゃいけないことは、精神をすり減らしていく。

 

それをいかに無視するか、それには決断が必要だ。そのための環境も必要だ。

 

そして得た時間で、自分の中の表現ができていく。

 

表現とは、ひとりひとりの中にある感覚を、言葉や音をはじめとした何かで表すことだ。

そこに優劣はないが、多数に訴求する表現かどうかという事実は客観的に存在する。

 

だが、それ以上でも以下でもない。

 

自分の感覚を、自分の表現で得ていくこと。

これがとても快感になる。

だが、しなくてもいい。

 

要するに、ただ呼吸して眠って食べて排泄していればいい。

 

もう何もやらなきゃいけないことなんてない。

 

無為に過ごそう。

自分のペースで呼吸しよう。