搾取と無知

 

 

ある人のtinderでの出会いに関する連載を読んだ。

めちゃめちゃざっくりいうと、高身長のイケメンモデルから顔射されている一方で、考え方が面白いから「先生」というあだ名で呼んでいる。あまり詳しく書くとよくないからこのくらいにする。

おれはこれを読んで「クソが」と思った。特に誰がとかではなく、とにかく「クソが」と思った。

おそらく、人に一人一人きちんと向き合わずジャンクフードのように食っては捨てていくような考えで動く人を「クズ」とすると、その「先生」なる男はクズだ。

クズの分際で、「哲学」を持っていて飄々としていて、さながら「かなわない存在」のサイコパス的なクズに、人は男女関わらず惹かれていく。

この人はそうじゃないから、特別だからと、みんながそう思う。

需要があるから供給が起きる。真性のクズだけでなく、ただのエセクズが発生するのはそのためだ。人間の弱さが生み出すスキだ。

 

そしてこういうのに対して憤りを覚えるのは、きっと自分が「クズに搾取されている」という憤りを感じているからだろう。最近よく対立をあおるような構造があらゆる分野で展開されているが、それはこの憤りがありとあらゆる場面で生まれやすくなっているからだろう。

そして、その憤りには羨望も必ず含まれている。

 

憤りと羨望が生じやすくなっているのは、そしてとくにそれが「恋愛」というくくりにて起きているのは、人々の自尊心や、本能である生存欲求について、劣等感や焦りを世間が生み出しているからだ。

 

世間というかものを売りたい人たち。資本主義だ。

 

「搾取」の本質は「無知」だ。

 

無知をあおる資本主義に対して、究極的には丸腰で、無知でいるしかない我々人間はあまりにも弱い。

対抗する手段はないのか?

 

個人的には、ありきたりだが、「自分の直観に従う」ことしかないと思っている。

すなわち、「自分の好きなことを」「やる」ことだ。

これによって、自分だけで完結できる。直感に従って、とにかくやる。結果はどっちでもいい。とにかくやる。